承前 出雲古代史紀行(1) 概要編 日御碕神社・古代出雲歴史博物館
博物館から徒歩の距離で出雲大社に到着です。12年前に参拝して以来の再訪でした。この社は明治以前は杵築(きづき)大社と呼ばれておりました、出雲郡杵築郷に存在していたのです。ヤマト王権に国譲りをした、 大国主さんを祭神としています。
この社の立地は稲佐の浜に近く、海上交通の便では重要な場所であったと思われます。 出雲は大別すると西出雲という斐伊(ひい)川と神戸(かんど)川 の土砂が堆積した平野に築かれた土地と東部出雲は意宇(おう)川流域に築かれた土地に別れています。
スサノオは神戸川流域の須佐の男という意味であり、ヤマタノオロチ伝説は彼が東出雲を制圧した歴史を語るのではないかと、私は考えています。八重垣神社は意宇地方の豪族の娘であるクシイナダヒメを祭り、おろち退治後、スサノオは奥さんにしている。古代侵入者が現地を統治する時に現地の豪族の娘を嫁にします。その話は、又、別の機会に詳しく述べたいと思います。
大社の美しい風景です、出雲族は日本海を東に進出し、ヤマト王権が誕生する前に奈良盆地を開拓していました。三輪山は大物主さんが神さん、麓には纏向遺跡がありますが、出雲荘があり多(意宇) 神社があり唐子・鍵遺跡も近いです。神武さんが、ヤマト入りする前に既に出雲が奈良盆地を開拓していたのです。
出雲のやまかけ蕎麦を食べました。博物館の前にある蕎麦屋さんでした。
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