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 アンコールトムを建造したシャヤバルマン7世は母の冥福を祈り霊廟寺院を建立しました、それがタプロム霊廟です。1186年バイヨン様式で建造され、当時は僧侶と舞姫が1万2千人住んでいたといいます。アンコール王朝最盛期の頃だった。

Photo_2   約500年間繁栄を築いたアンコール王朝も15世紀に隣のシャム王国(タイ)に滅ぼされアンコールトムもアンコールワットも忘れ去られ森に飲み込まれたのです。この写真のように石の寺院はガジュマルの餌食となり抱きかかえられ、文明の崩壊を目の当たりにします。この光景のインスピレーションは宮崎駿さんの『天空の城ラピュタ』に繋がると思います。

 少しインドシナ半島の歴史に触れます、後漢書によれば1世紀の頃からインドと中国(シナ)の文明の影響を受けた王国、『扶南(フナン)』という国がメコン川流域に勃興しました。インドからはヒンドゥー教が伝わり、官僚としてインド人も雇われたそうだ。そして、インドと中国を繋ぐ海のルートの中継基地として繁栄した。特にオケオの港は繁栄を極め発掘によりオケオ文化と呼ばれている。

 その後、『扶南国』の一部であった『真臘(しんろう)』という国が6世紀に『扶南』の国を滅ぼし9世紀にクメール王朝が勃興するまで繁栄した。アンコールワット・トムの遺跡群は9世紀以降のクメール王朝の遺産である。

                                By: Indie Jo

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    世界中の遺跡や不思議な場所を探訪し人間の歴史の根底を探し求め、流離う好古旅行家。
  • 浅茅原竹毘古浅茅原竹毘古
    京都府宇治市在住の、古代史を趣味にしている大学教授です。趣味がこうじてライフワークになりそうです。

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