バイヨン寺院です。 アンコールトムはアンコールワットが建設された30年後あたりに建造されたが、宿敵であるチャンパ王国を破りクメール最盛期の頃ではないでしょうか、アンコールワットの5倍の規模で造営された規模でその事が判ります。
チャンパ王国は現在のベトナム中部から南部にかけて存在した王国で、日本の遣唐使である平群広成の船が帰路、難破し漂着した場所として登場します。中国名は林邑と呼ばれていました。彼は危うく殺される所でしたが、中国系商人や阿倍仲麻呂の活躍で助けだされました。
アンコールトムで一番興味がひかれるのは、回廊の壁に刻まれた巨大なレリーフ群です、当時のチャンパ王国との戦争の模様や従軍する人々、家族が描かれ当時の様子が手に取るように判る事です。これは、歴史資料としてとても価値が高いと思います。
王様の出陣の模様です、象に乗り出陣しています。当時、東南アジアの諸国では戦争で象を使用しました、チャンパ王国もそうですし、先日、雲南省の昆明に出かけましたが、滇王国の軍隊も象を戦争で利用していたのです。そういえば、ハンニバルも象軍団で無敵を誇りました。
シュメールの兵隊さんを見ると、耳が大きく裸ですが大きな体格をしています、現在のカンボジアの人からは想像が出来ない程です、これが不思議なんですね。三日間現地で私のガイドを専属でして下さった女性の話では当時の人は、色が黒くて体格も良かったという話をされていました。
耳がでかいというのは、日本では仏教彫刻にその面影が残っていますね。
シュメール軍には中国の軍隊も参加しています、ともにチャンパ王国と戦争をしたのでしょう、風俗をみれば判ります。当時の戦争は兵隊さんだけが出陣するのではなく、家族全員で参加し家畜も引き連れ、鍋釜全て持参した民族移動だったのです。
レリーフを眺めていると、森では吹き矢で鳥を捕まえたり、スッポンを捕獲したり、魚の漁をしたり、豚を料理したり、実に面白い生活実感が湧く戦争絵巻であります。
これ等のレリーフに興味がある人は、私の写真集を参考にして下さい。
アンコールトム バイヨン寺院と回廊レリーフ群写真集
By: Indie Jo
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