最古のピラミッドはどのようにして出来たのでしょうか。私が考古調査士の資格を得るために学んだ早稲田大学のエジプト考古学の教授である近藤二郎氏の講義教科書をベースに概説したいと思います。
第3王朝(BC2686年頃)のネチェリケト(一般的にはジェセルの名で知られる)王が建設したサッカーラの『階段ピラミッド』にその謎を見つける事が出来ます。従来はエジプトの墳墓はマスタバ墓と呼ばれる、日干しレンガで直方体の建造物を作るのが常でした。それが、この『階段ピラミッド』において幾度かの設計変更を経て、偶然に出来上がったのです。
・先ず最初は63メータ四方の正方形で高さ10メータの規模の石造マスタバ墓(切石使用)が造営された。
・次に正方形のマスタバ墓の四辺をそれぞれ4メータ程拡張したが、拡張部の高さは中央のマスタバ墓より60センチ程低い為に、周辺の縁が低い2段のマスタバ墓が出来た。
・その後、マスタバ墓の東側に11基の竪坑が穿たれ、更にこの竪坑を塞ぐように、マスタバ墓の東側だけが約8.5メータ拡張された。
・東側を拡張したマスタバ墓の四辺が、更に3メータずつ拡張されて、4段の階段ピラミッドとなる。ピラミッドの誕生である。
・ピラミッドは更に北側と西側に拡大され、現在見られる6段の階段を持つピラミッドが完成した。基底部の長さは、東西140メータ、南北118メータの長方形である。創建時の高さは63メータもあり、ピラミッドを囲むように大周壁が設けられ、周壁は南北545メータ×東西277メータである。
何故拡張されたのか調査不足ですが、私が時折出かけるアステカ、マヤのピラミッドでは何代にも渡りピラミッドを増築するのは普通でした。
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