クフ王はダハシュールで『屈折ピラミッド』、『赤ピラミッド』を建造した第4王朝開祖のスネフェル王の息子である。お母様は太陽神の聖地、ヘリオポリスの大神官の娘です。何故、ダハシュールにピラミッドを築かずに、アル=ギーザの台地の上に建造したのだろうか。
吉村作治氏の説を解釈すれば、その理由は3点に絞られる。①彼はエジプトの原住民が崇めていた太陽神信仰と共存する道を選んだ。彼の父も共存を志向したようだが、太陽が昇る方向の聖地ヘリオポリスから見て太陽が沈むアル=ギーザの地が冥界の世界に相応しいと考えた。実はクフ王、息子のカフラー王、孫のメンカウラー王のピラミッド軸線を延ばすとヘリオポリスを通過するのだ。
まるで、古代の日本とおなじですね、三輪山から太陽が昇り二上山に太陽が沈む、二上山は冥界の入り口と考えられて都市設計がされた。平安京の土台の都市グランドデザインをした秦氏の考えも同じだ、日枝山(比叡山)から太陽が昇り愛宕山に太陽が沈む。日本でも多くの類例がみられます。共感を得ますね。
②多くの海外の人々やエジプトの人々も、地中海からナイル川の河口に入りナイルを遡上する。その時に、標高100メータ近い台地の上に147メータの巨大なピラミッドを眺めると度肝を抜かれると考えた。国家の威信を示すランドマークとして最高の場所だ。これも、5世紀のヤマトの王が百舌鳥に巨大な大山古墳(伝、仁徳天皇陵)を築いたのと類似性を見出す。大陸から瀬戸内海を航行し難波の港に入港する海外の人はヤマト王権の凄さを感じたと思う。
③重さ2.5トンの石灰岩の切石を200万個~300万個も積むとよほど地盤がしっかりしていなければ崩壊する。しかし、アル=ギーザの台地は岩盤で出来ている。その岩盤を一辺230メータの線を引き、幾多の平行線の溝を穿ち水を入れ水平線を得る為に岩盤を削り水平な基礎を作り上げた。
By: Indie Jo
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