南側の墳墓です、深いですね。
ところで、この頃の信仰は『星辰信仰(せいしんしんこう)』と考えられています。この頃エジプトを支配した民族は西アジアから南下してきた人々でした。彼らの故郷は北にあります、北極星を信仰したと考えられています。そして、その後土着の人々も自分たちの神が欲しくなり太陽信仰が生まれたと吉村作治さんは言っておられます。
エジプトではこの『星辰信仰』と『太陽信仰』の二つのせめぎあいが続くという。『階段ピラミッド』の時代は未だ『太陽信仰』が生まれていないので、葬祭殿もピラミッドの北側に建造されたのでしょうね。
ピラミッドの中の王の部屋への入り口も『星辰信仰』であれば、北側、『太陽信仰』であれば、東側(太陽が昇る方角)となります。
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