しばらく邪馬台国の話を考えていきます。
最初にお見せする写真は、奈良県の天理市と桜井市の境にある、第十代・崇神天皇の御陵です。ある秋の早朝にお参りに寄ったところ、朝靄にかすんでいました。驚く程に幻想的な前方後円墳が周壕(周りの池)の中にぼんやりと見えました。これは昔の言い方ですと「神韻縹渺(しんいんひょうびょう)」とした雰囲気と言えるでしょう。
実はここにまつられているはずの崇神天皇と、邪馬台国の関係はよく分かっていません。しかしこの御陵や少し南にある景行天皇陵を合わせて、三輪王朝という言葉があるくらいに、大昔栄えた地域なのです。
しかも2009年の秋に、崇神天皇陵から少し南の纒向遺跡(まきむくいせき)で、神殿とか宮殿と推定される大型建築物の遺構が発見されました。それ以来、この纒向こそが邪馬台国の祖地という話に信憑性が高まってきました。
神聖な三輪山の北に崇神天皇陵があって、山の北東部に纒向遺跡があります。
私は邪馬台国のことを考えるとき、以前からこの崇神天皇の事跡に大きな意味があると考えてきました。実は日本書紀の崇神天皇記に描かれた箸墓の主であるヤマト・トトビモモソ姫こそが、卑弥呼なのではないかという説があるのです。卑弥呼と崇神天皇には、なんらかの関係があったのだと推理できます。
これこそ、歴史の謎ですね。
by 浅茅原竹毘古
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